今の自分をつくるもの(バイト編)
よく、教師は無知だと言われます。
学校という社会の中でしか生活していないからと。
私が教師になってからこう言われるのは、絶対嫌でした。
社会人を外で経験してから、教師になる選択肢もありました。
しかし、私は何より早く現場で教師をやりたかった。
そこで私は、大学生活4年間の中に自分のできる限りのことを詰め込もうと思いました。
この紙は、私が教員採用試験の際に提出した、自己PR書です。
途中、前の記事にも書いた通り、無理をし過ぎてしまったこともありましたが、自分のできる限りは、挑戦し続けられたと思います。
私の大学生活は、
部活、フレンドシップ活動、バイト、ボランティアの4軸から主になりますが、
今回はバイトに焦点を当てて書きます。
私は大学1年時に、
東進ハイスクールの担任助手をやっていました。
しかし、部活とフレンドシップ活動とボランティアと並行してやっており、また、全くキャパがなかったので、当時は一生懸命やっていたつもりでしたが、今振り返ってみると、反省しかありません。
しかしここで働く中で、「独立自尊の社会・世界に貢献する人財」になろうと本気で思うことができました。
また、尊敬できるたくさんのスタッフの方や彩り豊かな生徒たちと出会い、「一人ひとりと向き合い寄り添うこと」の大切さを学びました。
そういう意味では、初めてのバイトが東進ハイスクールで本当に良かったなと思っています。
大学2年時に、担任助手をやめて、6月から、
児童相談所の夜間指導員を始めました。
ここで出会う子どもたちは、自分の想像を遥かに越えた背景を持ち、「一人ひとりの背景を大切にする」ことの重要性を学びました。
年明けから、
学童保育の補助指導員も始めました。
小学校から帰ってくる子どもたちは、開放感に溢れていて、「学校以外で過ごす子どもたちの本来(?)の姿」を知ることができたと思います。
この2つのバイトからは、
「子どもと信頼関係を築く術」や、
「困った子は困っている子という視点」
も学ぶことができました。
大学3年時からは、
家庭教師も始めました。
その中で、保護者の方と連携して個をサポートすることの大切さを学びました。
大学4年時からは、
中学校で介助員も始めました。
小学校を卒業した子どもたちは、どのように過ごしているのかということを客観的に観察することができました。
中学校内における学力差の開きを目の当たりにし、小学校の内に学力の低い子をいかにして救ってあげるかを考える契機になりました。
この他にも、お金をもらえるものという意味では、宿泊体験学習の引率ボランティアをよくやっていました。
4年間を通して、12回参加しました。
授業は公欠になり、謝礼ももらえ、たくさんの子どもたちの生き生きした表情を見れる。
こんな良いバイト(?)は他にない気がします。
大学2年時の空白の2ヶ月にバイトしていた、
お祭りの屋台のお兄さんも、
純粋無垢な子どもたちのキラキラした表情を見れたことや、わたがしを連続7時間作る苦行を通して、わたがしマスターになれたことなど、楽しいことがたくさんありました。
さる先生や、つっちー先生が色々書いていらっしゃいましたが、
https://twitter.com/saruesteacher/status/1028649459079467008?s=21
https://twitter.com/tuchiblanka/status/1028599408756064256?s=21
バイトは、何かしら「すんごく楽しい」か「すんごく学びになる」のであれば、何でも良いと思います。
その感覚で、バイトをしてきたおかげか、教師になってからも、
5月からは、本当に、「働いている」というより「楽しい!」「学びになるー!」という感覚で仕事をしています。
もし辛くなった時も、これは「仕事だ」と思考をチェンジできれば、少しの辛さは我慢できます。
バイトの時間も、自分の大切な時間の一つです。
ぜひ有意義なバイトができればと思います😊