銀河鉄道の旅🚃🌌

銀河級の教師を目指す3年目小学校教師のブログです。お気軽にお読みください😊

ずっと大事にしたい教育実習の記録と気持ち

夏休み終盤。

自分のパソコンの整理をしていた際、ふと開いた、教育実習の事後レポート。

この記録と気持ちは、今に間違いなく通ずる大事にしたいものでした。

 

 

教育実習Ⅰ(小学校)の成果と今後の課題

 

4週間の教育実習では、教育実習でしか出来ない二つのことをとことん突き詰めることができたと感じる。

一つ目は、目の前にいる子どもたち一人ひとりと、本気で4週間向き合い寄り添うことである。具体的にやったことを挙げると、初日で子どもたちの顔と名前を一致させた。開門する8時には教室で子どもたちを待ち、一人ひとりとおはようの挨拶をした。帰りは前のドアでさよならのハイタッチをした。向こうから来ない子に対しては、こちらからその子にあったアプローチをした。子どもたちとの思い出日記をつくり、一人ひとりとの思い出を大切にした。

その成果もあり、子どもたちの心が開く瞬間をたくさん見ることができた。社会見学である疑問について一緒に考えた時、休み時間に一緒にドロケイをした時、給食の時間にたくさん話せた時。きっかけはそれぞれであるが、39人全員と心を開き、色鮮やかな思い出をつくることができたと思っている。出会った頃より明るくなった子が増えて、新しい風を起こしたという手ごたえは感じられた。

こうした手ごたえは正のスパイラルをうみ、この子たちのためにこういうことをしてあげたい、こういうことを一緒にしたいという思いが溢れ、さらに気持ちを強く持って4週間を駆け抜けることができた思う。

二つ目は、一つの学級を相手にした授業である。大学の講義で模擬授業をしたり、児童相談所の夜間指導員として、学童の補助指導員として、はたまた、アシスタントティーチャーとして子どもと関わったりすることはこれまでたくさんやってきたが、一つの学級に対して授業をする機会は、学生の内で教育実習しかない。だからこそその機会を貪欲に求めていきたいと考えた。

授業は全部で27回行わせていただいた。国語と算数と理科の授業は1単元分をやらせていただき、社会や音楽、道徳や体育の授業もやらせていただいた。

 序盤は、これまで自分が学んできたことを活かして授業を行ってみた。そこで強く感じたことは、「学び方を学ばせること」の重要性である。いかに評価を軸にした授業や学び合いの授業、アクティブラーニングを行おうとしても、学び方を上手く教えられないとそもそも授業が成り立たない。指導教官の先生から指導を受け、だんだんとそのメソッドは理解できるようになった中盤。それでもやはり上手くいかなくて、子どもたちの困った表情を見ること、子どもたちが騒がしくなってしまうことが怖くなってしまう時もあった。そんなある日、先生から「子どもたちはギンガスポーツ先生の授業を楽しみにしています。」「子どもたちはギンガスポーツ先生が大好きだから大丈夫。」という激励をいただいた。自分でも内省をしてこれまでの学びを振り返った。そこからは、自分らしくまずは自分が楽しんで授業を行うこと、1回目の失敗は良しとし、同じ失敗は繰り返さないように反省を活かし続けることを意識し授業に臨むことができるようになった。その成果もあり、終盤は、心に余裕を持ち、児童との対話を楽しみながら授業を何度か行うことができた。27回の失敗を経て27回の成長をすることができたと思う。授業にゴールはない。その奥深さも感じることができた。

教育実習で変わった価値観が一つある。そのエピソードを紹介したい。実習前までは、子どもたちみんなが競うように手を挙げ発言をし授業に参画して、一緒につくり上げていく授業が理想だった。しかし、指導教官の先生に「みんながみんなそんな風だったら俺は怖いと思う。」と言われ、なるほどそういう考え方もあるなと、心が揺さぶられた。そして、教育実習2週目。6年生のあるクラスの授業参観をさせてもらった時、担任のI先生は、みんなで授業を創っていく雰囲気を出しながら、それを子どもに強要することはせず、ずっとその雰囲気のまま授業を行っていた。ある一人の子ははじめ集中できていなかったが、ある瞬間にふとその雰囲気に入り込み、楽しそうに授業に参画していた。

「誰もがいつでもその輪に入れる雰囲気づくり」

この環境デザインこそが、目指すべき姿なのではないかと思った。一人ひとりにはその子のペースがある。三十九人いたら三十九色の個性がある。共感的で温かい雰囲気づくりを大切にし、一人ひとりを尊重していきたいと思った。

現在の理想の教師像は次のものである。

一人ひとりの子どもたちと本気で向き合い寄り添い、共に成長していける教師。

大切にしたいことは、イ場所づくりと子どもたちの啐啄を見極めること。

「啐啄」という言葉は、実習中に調べものをしている際出会った言葉だ。啐(そつ)とは、ひな鳥が卵から出ようとして殻を破る音。啄(たく)とは、親鳥が助けようと外側から殻をつつく音。卵が無事にかえるには、両者のタイミングが合わなければならない、という意味である。一人ひとりの子どもたちと本気で向き合い寄り添う中で、子どもの中に“変わりたい”“伸びたい”という気持ちが芽生えた時に、背中を押すことができる、そんな教師になりたいと思った。

教育実習初日に校長先生から、「子どもたちにたくさんの声をかけ、子どもたちの芽を出してあげられる教師になってほしい」というお話をいただいた。これも一種の「啄」なのだろうと考えた。子どもたちにいつでも愛情を持ち、少しでも多くの芽を出すきっかけをつくれたらいいなと思う。

今後の課題は三つある。一つ目は、様々な経験をすること。指導教官の先生は、経験に裏打ちされた豊富な知識を持ち合わせ、子どもたちの心をつかんでいた。先ほど述べたたくさんの声をかけることともつながるが、学生のうちにたくさんの経験をして、私もたくさんのことを語れる教師になりたい。

二つ目は、集団を動かす力を付けること。1対1×39の関わりは出来たが、1対39の関わりはまだまだであると実感した。集団を動かす法則を学び、高いレベルで実践できるように、そういった機会を求めていきたい。

三つめは、理論を改めて学ぶこと。理論と実践の往還関係という言葉があるが、教育実習に行って初めて、小学校教師とはどういう仕事なのかを少しは学ぶことができ、今はまたたくさん学び直したいという気持ち強くなった。常に理論と実践の関係を意識しつつ、これからも学び続けていきたいなと思った。

教育実習を通し、小学校の教師になりたいという思いが固まった。理想の教師像を夢見て、残り1年半の学生生活を有意義なものにしていきたいなと感じた。